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Your time is up
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 【英文】

【日本語】
 小さな少女が、部屋の中で座っていた。汚れた茶色い髪をお下げにし、ヘーゼル色の瞳で扉を見つめていた。キリンのぬいぐるみを小さな体でぎゅっと抱きしめながら、父と母の叫び声をじっと聞いていた。

「あんなクソガキども、いなきゃ良かったんだ!」

 大きく、太い声が響いた。

「あいつらのやることと言えば、汚すか、文句を言うか、壁に落書きするか――」

 彼の言葉は、少女の母親の甲高い怒声によって遮られた。

「あの子たちは子どもよ、デイビッド!あの子たちはまだ何もわからないの!」

「ああ、クソ、メアリーベス!そんな馬鹿な言い訳は聞きたくないんだよ!もう十分だ!」

「どうする気なの?!」

 部屋に近づいてくる大きな足音を、少女は耳にした。少女は抱いていたキリンにさらに力を込めた。

 ドアが乱暴に開かれ、巨大な、怒り狂った、太った父親が入口に立った。そのがっしりとした片手には、大きな本が握られていた。

「デイビッド、やめて!」

 母親が叫んだ。しかし父親は妻の懇願を無視し、少女の襟を掴んだ。少女は叫び、蹴り、恐怖に身を震わせた。少女の父親は思い切り本を振り上げた。

「壁に落書きをした罰だ、このメスガキ!」

 

―――

 

 数年後。ナタリーとして知られる幼い少女は、9歳となっていた。成熟期の段階にいた彼女は、少しふっくらとしていた。いつもどおり、彼女は自分の部屋に座りテレビを見ていた。父は経済についてくだらないことを喚き散らしていた。彼女はそれを気にせず、ポップコーンをむしゃむしゃと食べていた。

 同時に彼女は、絵を描いていた。その絵には少々流血表現が含まれていたが、奇妙なことに、彼女は血を描くことが本当に好きだった。そうすることによって、彼女は奇妙な満足感を得た。

 その他、彼女にとって複数のことを同時に行うことは、問題ではなかった。幼い頃からそれは明白であり、過酷な作業・労働の後、彼女は多くのことを同時に行えた。

 才能と情熱を注いで絵を描くこと。それは現実から逃げる手段だった――何か悪いことが生じたとき、または目にしたときは、いつもそうしていた。あるいは、単に退屈したときも。

 不意に、扉が閉まる音が聞こえた。左側に視線を移し、ポップコーンを食べるのを止めた。そこに立っていたのは、12歳の兄・ルーカスだった。

「どうしたの?」

 扉の外からは、未だに父親の大声が聞こえる。

「父さんが怖いの?」

 彼はくすりと笑った。

「いいや、もうあの怒鳴り声には慣れっこさ」

 長い沈黙が流れた。

「じゃあ、どうしてここにいるの」

 服の袖をいじる彼の体は、少しぴくぴくしていた。

「聞きたいことがあるんだ」

 彼は妹に目を向けた。ナタリーは顔をしかめた。テレビと絵の邪魔をされていることに我慢できなくなっていたのだ。

「何なの」

「お前、言ってたよな。クールになりたい、ティーンエージャーみたいになりたいって?」

 少しだけだが、彼女は唐突に明るくなり、頷いた。

「あのね、僕に提案があるんだ」

「ああもう、早く言ってよ!」

 

「…つまり…男と女が一緒にやることだよ、わかるよな?」

 

 

 翌日。学校で、ナタリーは言葉を発することができなかった。丸一日、誰とも喋らなかった。どうしても、話せる人間がいなかった。誰にも知らせられない。誰にも知られるべきではない。

 それゆえ、誰も知ることはない。教師は彼女の困惑した表情に気が付いたが、授業が分からないだけだろうと思い、気に留めなかった。ナタリーは激しい苦痛を感じたような気分がした。彼女にはわけが分からなかったが、とにかく…痛かった。

 怯えながら、家に帰り、ひっそりと部屋に入った。しかしその日の晩、再び兄がやって来た。

 

 誰も、知ることはない。

 

 学校で、彼女はついに誰かに相談する決意をした。話す相手が友人ではなくとも、そうしなければならないと思った。玄関で、時折見かける少女たちのグループに歩み寄った。彼女たちは素敵な子に見えたし、ナタリーはたまに彼女たちと言葉を交わしていたのだ。

「あの…ミア…」

 赤毛の少女が、真顔でナタリーを見つめた。

「なに?」

「私…その…相談したいことがあるの。ここしばらく、ずっと続いてて、それで…こんなこと話せるのは、多分あなたたちだけなの」

 ミアと彼女の友人たちは、ほんの一瞬だけだが、にやにやと笑ったように見えた。ナタリーは知らなかった――彼女たちが、ゴシップに飢えていることを。

「大丈夫よ、私たちを信じて。どうしたの?」

 

 1日が経ち――たった1日だ。彼女の噂は絶えず、フェイスブック等のSNSに流れた。

 ときには、ナタリーを売女呼ばわりする者すらいた。言うまでもなく、これらの行いは彼女を悩ませただけだった。それは些細な問題にすぎないかもしれない。しかし、ナタリーはまだ9歳だった。この現実に、心が狂わないはずがなかった。

 それでも彼女は、怒ることも、不平を言うことも、その件に関して何か言うこともなかった。覚えていると思うが、これまでも彼女は、全てを自分1人で抱え込んでいた。そうすることが良いのだと、彼女は悟った。そうすれば、苦しんで理性を失うことはないのだ。

 

―――

 

 午前3時。学校があった日の夜。母親は娘を殺そうとした。ナタリーとして知られる少女は、現在13歳となっていた。彼女は高校では、生産的で有意義に過ごし、優等生に近かった。学校の中だけでは、彼女は平穏と幸福を感じた。しかし通常は、自分の部屋に――時には『隠者』のようにひっそりと――佇み、父親から隠れていた。父は絶えず、経済や金、政治、そしてあらゆる無駄話について喚き散らしたがっている。もううんざりだ。

 まぶたが重くなり始めた。課題をやらなければいけないのだが、もうどうでも良くなっていた。とにかく寝たい。ノートパソコンを閉じ、暗闇に目が慣れ始めたとき、部屋の隅に、古く擦り切れたキリンのぬいぐるみを見つけた。

 ナタリーは無言で、そのぬいぐるみを見つめた。彼女の過去が、心の中を駆け抜けていった。両目から涙が零れた。しかしすぐに、瞬きして涙を隠す。「もう関係ない」彼女は自分にそう言い聞かせた。しかしそれでも、ぬいぐるみを見つめていた。

「何見てるんだよ」

 彼女はぬいぐるみに向かってそう呟いた。それはただ、柔らかく小さな黒い瞳で、相手を見つめ返した。彼女は頭を振り、立ち上がった。小さなおもちゃの動物を、悲しげに見下ろした。それから、両の腕でそっと持ち上げ、胸に抱き、静かに語りかけた。

「ご…ごめんなさい…」

 涙が彼女の頬を伝った。ざらざらとした短い毛皮を優しく撫でた。そのままベッドに横たわり、ゆっくりと眠りについた。

 

 母の怒鳴り声で、彼女は眠りから覚めた。けだるげに片目を開けた。

「ノートパソコンを取り上げるのを忘れてたわ、もう!どうせ、一晩中それで遊んでいたんでしょう!」

 ナタリーは溜め息を吐き、キリンをぎゅっと抱きしめながら枕に顔を埋めた。母も溜め息を吐き、その場を立ち去った。起きてシャワーを浴び、歯を磨き、朝食をとると、服を着替えた。灰青色の、毛皮つきのパーカーを身に着けた。これが一番のお気に入りの服、というわけではなかったが、他の服は洗濯しているため、学校に着ていけるものはこれしかなかったのだ。それから、黒のジーンズと、細い“流行りの”ブーツを履いた。車に乗るために、ようやく階段を降りる。車に乗り込むと、運転席の母親が学校に向けてスピードを出した。

 しかしその途中、寝不足だったナタリーは、車の窓に頭を預け居眠りをし始めた。彼女が視た夢――いや、悪夢と呼ぶべきか――は、幼少期に受けた虐待の光景だった。それから、4年もの間――勇気を出して止めさせるまで――実の兄ルーカスが続けた性的虐待。眠りながら、体が痙攣し、竦んでいく。しかし、母親はその様子に気が付かなかった。一切気にも留めなかった。

 

 母の声で、ナタリーはハッと目を覚ました。

「着いたわよ」

 苛ついた口調だった――おそらく、ナタリーが居眠りしていたからだろう。大きな看板に『ウォーカービル――純粋美術創造大高等学校』と書かれていた。ナタリーは疲れたように溜め息を吐き、車を降り、リュックを背負った。

「じゃあ」

 ナタリーはそう言って、車のドアを閉めた。

 

 学校の中に入り、数人の友人と言葉を交わし、3階の自分のロッカーまで歩いていった。本を取り出し、時間が5分近く過ぎた頃に、教室に駆け込んだ。

 英語教師が、苛ついたようにナタリーの机に手を置いた。

「課題はどうしたの?ウィレットさん」

 ナタリーは唾を飲みこんだ。

「え、えっと――家に忘れてきてしまいました。ごめんなさい、ホームナック先生」

「もう時間切れよ、ウィレットさん。私をがっかりさせないで」

 一瞬、ナタリーはその言葉に困惑したようだった。何故かはわからなかったが、教師の言葉が彼女の心に融けこんでいった。

 しかし特に気にせず、再び講義に耳を傾けた――もちろん、ほどなくして寝てしまったが。数時間後、ロッカーの前で4時間目の授業の準備をしていると、突然、ボーイフレンドのクリスが近づいてきた。

「やあ、あの…放課後話したいことがあるんだけど、いいかな?」

 ナタリーは微笑んだ。クリスとの会話が大好きだったのだ。

 (彼の様子は)奇妙ではあったが、彼女が疑念を抱くことはなかった。彼はいつも、素敵な恋人だった。

 フランス語の授業には、全く集中していなかった。代わりに、大好きなものを落書きしていた。流血、ゴア、刺されている人物、ナイフ、そういった死を連想させるものを。

 そんな絵を描く彼女を、他人は陰気だと言うだろう。しかし彼女自身は、全く気にしていなかった。奇妙なことに、彼女にとって自分の行為は、至って普通のことだったのだ。

「ウィレットさん」

 彼女は咄嗟に、紙に描いた落書きを腕で覆い隠し、不安を悟られないようすぐにフランス語教師を見上げた。

「あー…何でしょうか?ルバスール先生」

 彼は首を少し回し、腕をどけろというジェスチャーをした。

「それを見せて」

 しぶしぶ腕をどけ、発狂した男に刺されている人物の絵を見せた。教師は困惑しながらそれを眺め、ちらりとナタリーを見た。ナタリーは気まずそうに笑みを浮かべた。

「それを消して、勉強にとりかかりなさい」

 不思議なほど静かな声で言い、教師は立ち去った。ナタリーは溜め息を吐き、絵を消し始めた。

「それと、ウィレットさん」

 彼女はちらりと彼を見た。

「もうそろそろ時間切れです。早くやったほうがいい」

 彼女はその言葉に唸った。時は常に、彼女に逆らっているように思えた。彼女が思う限りでは、時間というものは邪魔なものであった。

 授業の後、学校から出た彼女は、歩道のフェンスの近くに立つ恋人を見つけた。彼女は微笑みながら、恋人に近づいていった。嫌な一日だが、彼と話して少しでも元気を出そう――そう願いながら。しかし、近づくにつれ、彼女の笑みは消えていった。彼が微笑み返してくれなかったからだ。

「クリス、どうしたの?話したいことって何?」

 彼は溜め息を吐いた。

「ナタリー、僕たちはもう…他の相手を見つけるべき時だと思う」

 胸が張り裂ける思いがした。

「でも――どうして?」

    彼の表情が少し厳めしくなった。

「君の価値観だよ。君の描く絵は…僕にとっては、ただただ不気味なだけだ。君は絶対にどこかおかしい、僕はそう思う。何よりも悲しかったのは、どうしてこんなことをするのか、君が教えてくれなかったことだ。それで、もうどうでもいいと思ってしまったよ。だから…もう僕には何もできない。ごめん」

 そう言って、彼は立ち去った。

 

 ナタリーは、自宅の洗面台に手を叩きつけた。ゆらゆらと揺れ動く目で鏡の中の自分を見つめた。

「わ、私は他人みたいに自分を傷つけたりしない――私はいつだって強い――」

 彼女の手の中には、針と黒い糸があった。

「そんなことしても無意味、どうにもならない」

 潜在意識が表に引きずり出される、奇妙な感覚がした。小さく、クスクスと笑みが零れる。

「違う…やりたいからやってるの」

 糸を通した針を持ち上げ、にやりと大きな笑みを浮かべた。

 

「時間切れだ」

 

 切っては切り、縫っては縫う。

 激しい痛みにも関わらず、ナタリーは泣かなかった。涙を流さなかった。彼女は、ただ笑っていた。縫った箇所から零れた血がシンクに滴り落ち、ポタポタと低い音が響いた。作業を終えると、一歩下がって自分の手細工を眺めた。口の両端にできた恐ろしい縫い目をなでた。笑みが広がっていた。指に付着した、温かく濡れた血を、そっと舐めた。恍惚としながら、金属の味がする液体を飲み下した。

 鏡越しに、背後に立つ母の影を見て、ナタリーは動きを止め振り返った。母は目を大きく見開き、顔を蒼白にしていた。

 ナタリーは自分の指に目を落とし、血を眺めた。突然痛みを感じ、泣き始めた。

「母さん?」

 ナタリーがこれほどまでに錯乱したのは初めてだった。一体、彼女の身に何が起きているのか。

 

 母は娘にセラピーを受けさせることにした。痛むことを恐れたナタリーは、口の両端の糸を取り除かなかった。そのため、縫い目を残したままセラピストの元へと行った。誰にも顔を見られないよう、忘れずにフードを被った。

 心地良い革座椅子に腰かけ、向かいに座るブロンドの女性を無言で見つめた。

「ナタリーさんですね?」

 ナタリーは黙って頷いた。

「私はデベラ。あなたを助けに来ました。早速だけど、最近、あなたが抱えている問題は?」

「時間です。時間が私の問題です」

 デベラは困惑した表情を見せた。

「時間の何が問題なの?」

 ナタリーの手が、乱暴に椅子の革を掴んだ。

「全てです。人生というものは、時間に支配されているんです。社会に縛られ、のろのろと日々を過ごし、ただただ、終わりの見えない苦しみに苛まれ続ける――生きる気力がなくなるまで。それは悪循環です。時間は止まらないし、遅くなることも、早くなることもない。時間とは暴力的なもの。何度も、何度も、人に苦痛を与える。時間からは逃げられない」

 ナタリーは、自分の言ったことが全く理解できなかった。もはや自分が自分でない、そんな感覚がした。もしや、今まで我慢し続けてきた全てのことが原因なのだろうか。いや、それは信じがたい。しかし、どういうわけか…彼女はそれを好んでいた。

 セラピストが屈み込んだ。

「ねえ、何があったか教えてほしいの」

 ナタリーはなおも見つめていた。沈黙が続いた。

 ナタリーがにたりと小さく笑うと、顔の傷口が僅かに開いた。

「あなたが教えてよ、金髪さん――専門家でしょ」

 デベラが少し不機嫌そうな表情を浮かべた。

「ナタリー、何があったか話してくれないと、あなたを助けることはできないの」

 ナタリーは指で革座椅子に穴を開け始めた。

「ナタリーはもういない」

 そう言うと、デベラは目を見張り、立ち上がった。

「すぐに戻るわ。ここで待っててちょうだい」

 彼女はナタリーを1人部屋に置いて、立ち去った。もしこの時点で何かしていたならば、ナタリーは今日(こんにち)のようにはならなかったかもしれない。もっと多くの人が生きていたかもしれない。更に言うと、彼女は正気に戻れたかもしれない。

 できることなら、私は認めたかった――彼女は椅子から立ち上がり、全てが起きる前に踏みとどまった、と。だが、私には恐ろしい事実を話す義務がある。ナタリーは動かなかった。椅子の上で、しっかり座り続け、すっかり沈黙したまま、まったくおとなしくしていた。

 苛立ちながらしばらく待っていると、ついに彼女の両親が入ってきた。彼女は帰れることに喜び立ち上がったが、両親の表情に気がついた。父親すら、悲しんでいるような奇妙な表情を浮かべていた。彼女は困惑したが、何も言わずに2人の後に続いて車に乗った。家に帰るのだと思っていた彼女は、居眠りをし始めた。

 

 夢の中で、彼女は低い声を聞いた。それは彼女自身のもののように聞こえ、不変なる暗黒の中で木霊した。

 

「時間切れだ」

 はっと目を覚ますと、玉のような汗が顔を流れていた。彼女がいたのは、家ではなかった。車でもなかった。

 ベッドの上だった。白いベッドだ。白い部屋の中だった。横を見ると、心拍数モニターに繋がれていることに気づいた。起き上がろうとするが、くっついて離れなかった。

 彼女は混乱した。じたばたともがき始めたが、左のドアが開く音が聞こえ、ピタりと止まった。白い服の男性が、背中で手を組みながら彼女を見つめた。科学室にいるようなありきたりな医者の1人、という風体だった。『科学者さん』が話し始めると、彼女は細心の注意を払った。

「非常に混乱していることと思います。しかし、あなたを救えるのはここしかないと、ご理解いただきたいのです。ご両親は、あなたの精神状態を改善するために精神安定剤を投与するという契約に、同意してくださいました」

 彼女は文句を言おうと口を開いたが、すぐに遮られた。

「心配はいりません。すぐに普通に戻れます。ただ、リラックスすることを心がければいいのです」

 彼は歩いた。彼女はおどおどしながら離れようとしたが、手首や脚を革ひもで固定されていたためにできなかった。彼は慎重にマスクをとり、彼女の口と鼻の上に被せた。彼女は頑なにそれを外そうとしたが、薬の効果で力を失って行き、目をゆっくりと閉じた。

 

 そして突然、彼女は目を覚ました。彼女は自分が見ているものが理解できなかった。

 彼女は様々な注射を打たれていて、いくつかが彼女の肌をこすっていた。彼女は混乱していたが、周囲を完全に意識していた。彼女は手術を受けている間に、いくつかの患者が通過する稀な状態に入っていた。彼らは、自分が施術されていることを認識し、痛みを感じ、脳が活動しているが、応答はできない。

 しかし、彼女にはできた。モニターの心拍数が上がり始め、医師はこれに気付いた。彼らは彼女を見つめ、目が開くのを見た。

 医者の一人が別の医者に叫んでいた。彼女は彼らが何を言っているのか分からなかったが、突然アドレナリンの急激な動きを感じた。彼女はゆっくりと紐から抜け出し始め、激しく揺れ動いた。

 医者の一人が彼女を拘束しようとしていたが、突然それを躊躇い、3人の医者すべてが後退した。彼女はベッドの端に座り、マスクと腕のチューブを引き裂いた。彼女は立ち、彼らに向かってよろめきながら歩いた。彼女の息は絶え絶えで、視界はぼやけていた。彼女は不気味な笑い声を出すことができた。

 しかし突然、彼女は胸に激しい痛みを感じた。彼女は心臓が位置するであろう箇所を掴み、膝を落とした。血を吐き出して、床に崩れ落ち、目の前が真っ暗になった。

 その後、彼女は朦朧としながら、ゆっくりと目を覚ました。彼女はベッドの中に戻っていた。医者はベッドの横に座っていた。

「とても…恐ろしいことが起きた」

 わけもわからず、彼女は医者に対して強い憎しみを感じた。彼はそれに気づき、そして目を逸らした。

「精神安定剤を投薬しているときに、起き上がってはいけなかった。あなたにどのような影響が及んだかはわかりません…ですが、発見しようと我々は考えています」

 彼は一瞬止まったあと、彼女を見ることなく、小さな鏡を取り出した。

「あなたの外見にも影響を与えました」

 彼女は鏡の中の自分を見て、目を広げた。彼女の目は…両目が…完全に緑に染まっていた。彼女はまだ口に縫い目があることに気付いた。しかし、どういうわけか、彼女は感じずにはいられなかった…喜びを。

 彼女の心拍数は再び増加し始めた。彼女は低い笑い声を出した。

「ハハハハハアアハハハアアア…」

 医者は衝撃を受けたようだった。そして、突然立ち上がって自分を見下ろす彼女を見つめた。

「先生…」

 彼女はなおも笑いながら言った。彼は微かに震えながら、モニターの下のボタンを押した。

「な、何?」

 

「時間切れだ」

 

 「病院」であるはずの場所のホールから、大きな叫び声が聞こえた。2人の警備員が部屋に突入し、ドアを蹴破った。

 血。それが、彼らが最初に見たものだった。壁の上、ベッドの上、床の上の、血。天井でさえ、地獄だった。ナタリーが医者を連れて、ベッドに縛りつけたのだ。彼の背骨は完全に折れていた。ベッドは何者かによって曲げられ、サンドウィッチ状になっていた。彼の目、鼻、口、そして体の穴という穴から、血がでていた。

 そして、そこには、その隅には、殺人犯がいた。楽しげに、壁に血で悍ましい絵を描いていた――「時間切れ」という言葉とともに。彼女はゆっくりと顔を彼らに向け、顔全体に広がる狂った笑みを見せた。

「こんにちは…イ、一緒に…遊ぼ?は…ははァ…ハハハは…」

 警備員がすぐに銃を引き出すと、彼女は咄嗟に彼らのうちの一人に向かって突撃し、銃弾を避けることができた。彼のポケットの鞘から大きなナイフをつかみとると、それを彼の胴の端から端まで走らせた。血液や器官が溢れ出て、彼は地面に倒れた。彼女は湿った死臭を、愛おしげに吸い込んだ。もう一人は恐怖に震え、銃を落とした。彼女はゆっくりと歩いて、ナイフの先端を彼の胸に挿入した。

「時間切れだ」

 彼女はゆっくりとナイフを滑らせ、腸の終わりまで到達させた。彼の器官も同様に床にこぼれ、倒れ、死んだ。

 

―――

 

 ナタリーの母親は、部屋で夫の隣で静かに寝ていた。彼女はドアをノックする音で目を覚ました。彼女は朦朧としながら立ち上がり、寝室を出て玄関まで出た。外は完全に雨が降っていて、遠くで雷鳴がとどろいた。彼女はドアまで歩き、ドアノブをつかみ、停止した。

 外から…狂気的な笑い声が微かに聞こえた。雨と雷が、突然静かになったように思えた。彼女は耳をドアに押し当て、耳を澄ました。

「ハロー、母さん」

 ナタリーは手に持った2本のナイフを振り回し、扉を破った。母親はよろめきながら後退し、頭をコートラックにぶつけた。フックの1つが頭蓋骨に突き刺さり、後頭部から激しく血が噴き出し床に流れた。麻痺した彼女は床に崩れたが、まだ意識はあった。ナタリーは彼女の前に聳え立っていたが、ゆっくりとひざまずき、彼女の目の高さに合わせると、どろりとした赤い血に覆われた2本のナイフを彼女に見せた。

「私、苦しかったんだよ、母さん…」

 ナイフの先端を頬に刺し、軽く切った。ナタリーは頭を傾けた。

「でも、あなたは何もしなかった」

 母親にできることはただ、震え、陸の魚のように絶えず喘ぐことだけだった。ナタリーは母親をつかむと、背中が平らになるように、優しく彼女を床に横たえた。彼女の上に座り、胸にVカットを刻んだ。母親はただ喘ぎ震えていたが、やがてむせ返り、たどたどしい呼吸となっていった。

 彼女にはもう時間がないことが、ナタリーにはわかっていた。大きな亀裂を入れ、強制的に胸腔を開けると、手を伸ばして母親のゆっくりと動く心臓をつかんだ。脈は、しだいに濛々としていった。そして突然それを裂き、彼女の顔全体に血飛沫を浴びせた。静かに死ぬ母の顔を、彼女はじっと見つめた。

「良い夢を」

 彼女は母親の死体に向かって言った。

「時間切れだ」

 彼女は母の口に心臓を入れると、頬を軽く叩いて、立ちあがった。まだ、終わっていない。

 

 ナタリーの父・デイビッドは目を覚まし、妻がまだ帰ってきていないことに気づいた。

 目が暗闇に適応し始めたそのとき、彼はベッドの横に立つナタリーに気付いた。暗闇の中で、緑色の目を輝かせながら、笑っていた。全身血塗れで、その香りは耐えられるものではなかった。彼女は偽りの悲しい表情を浮かべた。

「ああ、大好きな…母さんが死んじゃった…これからは誰がお金を稼ぐんだろう?ハハァハハァハハハ…」

 彼女は突然、父親の額をつかんだ。

「どうせ、そんなことしか心配しないでしょ」

 しかし、ファイターだった彼は、飛び起きて彼女の首をつかみ、床に彼女を投げた。彼女が血を吐き出すまで胸を叩き、彼女を見つめた。

「た、楽しくない?パパ?フ、ハハハハ――」

 彼女はさらに血を吐いた。     

「だっ、だって、ずっと何年も前は、嫌がらずにやったでしょ?」

 彼は目を細めた。

「お前は俺の娘じゃない」

 彼女の笑みがさらに広がった。口から血を吐きながら、輝く目で彼を見た。

「そう、あんたの言うとおりだ」

 彼女は突然彼をつまずかせ、彼は勢いよく床に倒れた。彼女はナイフを手に立ち上がった。

「大きければ大きいほど、倒れるのもひどい」

 彼が息切れしている間に、彼女は枕をつかんで、彼の顔の上に押し付けた。そして彼の顔を踏みつけた――激しく、さらに激しく。しばらくして、大きな割れる音が聞こえた。枕を引き離すと、彼の顔はぞっとするほど切り裂かれており、弱々しい音を立てながら、彼は苦痛で涙を流していた。

「どうしたの?パパ?そんなに痛かったの?」

 彼女は両方のナイフを腹に刺すと、一旦そのままの状態にし、大きな重い木の柱の一つをベッドから引き裂いた。彼女はそれを彼の足の上に置き、ナイフを取り出した。

「これらを使おう」

 彼女は笑って、脚の上に横たわる柱に座った。突然、彼女は座ったまま体を移動させた。柱の上にいる彼女の重みが、ゆっくりと彼の内臓を圧迫し始めた。彼は息を詰まらせ、血液が口から噴き出した。彼の呼吸が静まり、彼女は少し困った。彼女は唸り、更に体重をかけて自分の体を動かした。汚らしい血の塊が、彼の顔の両側の床に溜まっていた。突然、彼の臓器が口から飛び出した。彼女は彼の死体に向かってうなずいて、歩き出した。

「時間切れだ、パパ」

 

 ついに、最も楽しみにしていたこのときが来た。彼女は静かにドアを開けて、兄の部屋に静かに忍び込んだ。ナイフから滴る血は、硬い木に当たるとポタリと低い音を立てた。兄はベッドにいなかった。彼はどこかに隠れているに違いない。彼女は笑った。

「ねぇ、お兄ちゃん、出てきてよ…」

 彼女は中を歩き始めた。

「ちょっと遊びたいだけだからさ。あはははハアアハハアあはぁ!」

 更に足を踏み入れると、何か物音が近くで聞こえた。息遣い、動作――彼の不快な臭いを探るため、空気を吸った。そして、音が更に近くなると、彼女はついに何かに気づいた。かすかな呼吸音、雑音……。

 彼女は震えて地面に倒れた。彼女の兄が、血塗れの野球バットを手に、彼女の後ろにいた。彼は怒りの籠った目で見下ろし、息を荒らげていた。彼女はゆっくりと起き上がろうとしたが、彼が再び殴ってきた――それから再び、そして何度も。

「母さんはいつも、おまえを大切に思っていたのに!このクソ野郎!」

 一息入れる前、彼は最後に、激しく一打した。彼女は大量に出血し、閉じかけている緑色の目は、暗闇の中でぼんやりと輝いた。力を失っていくのを自覚しながら、彼女は天井を見上げた。

 また、この忌々しい天井を見上げている――そう思った途端、エネルギーが急速に彼女の体を駆け巡った。彼女は立ち上がり、狂気の笑い声をあげた。

「ははははハハハハハアハハあははアハハハハハ!!!!」

 兄はもう一度彼女に殴りかかろうとしたが、彼女の2本のナイフがそれを防いだ。

「おマえワ地ゴクにオチルんだよ、クソあニキぃ!!!」

 彼女は兄を強く押し、ベッドの上まで吹っ飛ばした。彼は頭を壁に叩きつけられ、怒りをこめて唸り、彼女に突っかかろうとした。すると彼女は2本のナイフを腕に刺して、壁に固定した。彼は叫び、急速にもがいた。

「ここで使えるものを探してみようか…」

 彼女は部屋の周りを歩き始め、彼のベッドのわきにシンプルなバターナイフを見つけると、笑みを浮かべた。

「体の器官で最も柔らかいのは、目…」

 彼女はゆっくりとナイフを舐めた。

「バターのように柔らかい」

 彼は恐怖を覚え、逃げようとしたが、彼女はナイフで目を穿り始めた。彼が大きな悲鳴をあげると、彼女はすぐに口の周りに布を縛った。

「ちょっと、ダメでしょ。ご近所さんを起こしちゃうよ!」

 彼は何も見ることができなくなった。痛みは耐え難いものだった。眼窩からは血液が激しく漏れた。彼は泣きたかったが、もはやそれも不可能だった。

「うーん…」

 彼女は更に多くのアイテムを探し回り、はさみを拾った。彼女は彼に向かって、這って歩いた。

「切ってみたらいいと思うよ、お兄ちゃん~」

 はさみが腸に刺さると、彼は痛みで声にならない叫び声をあげた。彼女は彼を芸術や工芸品のように扱い、紙のように肌を切り開いた。彼女は大腸を持ち上げて、邪悪な笑みを浮かべた。

「私が好きなもの、知ってる?マカロニアートだよ」

 彼女は腸を切って、バラバラにした。

「これは、プレートに入れるにはちょっと大きすぎるかもしれない」

 彼が口から血を泡立てているのが聞こえた。しかし、彼は口を布で塞がれていたために、血液を飲み込まなければならなかった。

「美味しくないの?」

 彼女は指で彼の血を舐めた。

「絶対に美味しいと思ってた」

 彼はまたくぐもった叫び声を出した。彼女は彼の体の下に移動すると、彼の足の指を打ち砕き始め、引きちぎった。次から次へと。

 しばらくすると、彼の叫び声はつまらなくなった。彼の喉はひりひりとして、血まみれだった。次に、彼女は彼の指を動かした。そして切って、ゆっくりと裂いた。騒ぎはより大きくなり、彼はのたくり始めた。彼は自分の血で窒息していた。頭を横に向けて激しく嘔吐した。

「よしよし」

 彼女は頭を撫でながら言った。

「これを食べれば気分が良くなるよ」

 彼女は彼の指を一本、彼の口に詰め込み、喉を詰まらせた。彼は窒息し、ゆっくりと死んだ。

「時間切れだ」

 

―――

 ナタリーとして知られる少女は、血を零しながら自分の部屋へと入った。部屋の隅に、それを見つけた。キリンのぬいぐるみ。彼女は膝をつき、それを見つめた。それから、何も言わずに立ち去り、浴室へ行った。血に塗れた自身を見つめていると、カチカチというかすかな音が聞こえた。見下ろすと、懐中時計があった。

 彼女はゆっくりと回る時計の針を見つめ、永遠に続くかのような時を刻む音に耳を傾けた。

 赤く染まったナイフの片割れを取り出すと、そこから血がたっぷりとカウンターの中に零れた。懐中時計を掴み、分解して小さな時計部分のみを残した。

「時間とは、苦しみを通して人生を支配するもの」

 彼女はゆっくりとナイフを目の前に持ってきて言った。

「社会に縛られ、のろのろと日々を過ごす」

 彼女がゆっくりと、自分の目を掘り始めると、左目の視界がぼやけて赤くなっていった。

「生きる気力がなくなるまで」

 血溜まりがシンクの中に現れ、彼女は左目が眼窩から離れ始めたのを感じた。

「それは悪循環」

 眼窩から目がぶら下がり、鋭い痛みが走った。

「時が止まることはなく、遅くなることも、早くなることもない。時とは暴力的なもの」

 目の帯を掴み、素早く引きちぎると、目はシンクの中へと落ちていった。

「何度も、何度も、苦痛を与える」

 彼女は左目があった場所に、時計を入れ始めた。

「時からは逃がれられない」

 ぐしゃっという音と、血の滴る音が続き――その後、時計は完全に、彼女の眼窩に嵌まったようだった。

「私はクロックワーク」

 

―――

 
 かつてナタリーとして知られていた13歳の若い少女は、燃え盛る自分の家から、歩いて出た。炎はすべてを包み込んだ。

 そして家の中では、彼女の家族の死体と共に、キリンがゆっくりと燃えていた。

 

―――

 

 ある者は、彼女はまだ生きていると言う。

 狂気を纏い、数多の死体を築き、人々が終わる時間を決定する。

 彼女の存在に気づく唯一の方法は、夜中に毛布の中で身を寄せ合うこと。ぐっすりと眠っているとき――闇の中で、彼女は見ている。彼女は決定する。

 あなたは、時計の針の音を聞く。

 そして、邪悪な時計仕掛けの目が放つ、緑色の光を見るだろう。     

 それらは彼女が存在する証。

 それらは、あなたが時間切れとなる合図なのだ。
原作者:luciiid
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